隆頼の子である作兵衛は1615(慶長20)年5月に大坂夏の陣で幸村と共に戦死しています。 子供は男子(常田作兵衛 遺児)が少なくとも1人いました。
大坂夏の陣で作兵衛が討ち死にした事により、常田氏家名存続のために河原綱家の四男である忠兵衛が常田忠兵衛として常田氏を継ぎました。 作兵衛の遺児が幼かったためだと思われます。