兄の木下頼継(大谷吉継の次男)は大坂の役で豊臣方になり、大坂城に籠城しました。
1615(慶長20)年5月7日、真田信繁(幸村)など豊臣方の主力部隊は徳川方により撃破され、夫信繁や頼継は討ち死にしました。
大坂の役が終わった後、徳川氏に命じられた紀伊の領主だった浅野長晟によって捜索され、1615(慶長20)年5月20日、紀伊国伊都郡にて利世と"あぐり"が3人の侍に警護されて隠れていたところを身柄の確保をされました。その時、黄金57枚と来国俊の脇差しを持ってことが信繁の妻である事の決め手になりました。この金と短刀は長晟に恩賞として与えられました。
5月24日、京都にいる家康のもとへ身柄を送られました。
徳川氏に引き渡されましたが無罪となり、以後余生を京都で過ごしました。
七女かね夫妻とともに過ごしたか、2人から援助を受けていたと言われています。
("あぐり"と共に滝川一積のもとに身を寄せていたという説もあります。)
1649(慶安2)年5月18日、利世は京都で亡くなりました。(利世 享年不詳)
墓は京都府の竜安寺大珠院と宮城県白石市にあります。
法名は竹林院殿梅渓永春大姉です。 |