梅
プロフィール
読み仮名
うめ
生没
1604(慶長5)年~1681(天和元)年12月8日 享年78才
出生
信繁(幸村)の三女。母は高梨内記の娘(竹林院説も有り)
別名
法号:泰陽院殿松源寿悟大姉
移籍
真田氏、仙台藩重臣の片倉小十郎重長の妻
片倉小十郎重長
子供
不詳(いなかった可能性大)
当信寺(宮城県白石市)
備考
 
経歴
梅の経歴

1604(慶長5)年、真田信繁(幸村)の三女として、信繁(幸村)の幽閉先である紀州国九度山で生まれました。

1615(慶長20)年5月7日、大坂夏の陣で父信繁が討ち死にし、翌日には豊臣氏が滅亡しました。(梅 享年12才)

陸奥国仙台藩の重臣である片倉小十郎重長に捕らえられました。
伊達政宗からの許しを得た片倉重長は白石に梅を連れて帰りました。このことは、信繁(幸村)と重長の間に密約があったと言う説、滝川一積が根回しをしたと言う説など、諸説ありますが定かではありません。

白石城の二の丸で大切に育てられました。
同じ年、妹である菖蒲かね、弟である大八(のちの片倉守信)も片倉氏を頼っています。

1620(元和6)年、梅は片倉重長の側室になりました。(梅17才)

1626(寛永3)年、片倉重長の正室(名前不詳、針生盛直の娘)が江戸で亡くなりました。
正室の死後、梅が正室になりました。

1648(慶安元)年、白石城下に月心院を建立しました。月心院は仙台真田氏の菩提寺として建立されましたが、後に廃寺になりました。

1659(万治元)年、夫である片倉重長が亡くなりました。重長の墓は傑山寺に建てられました。

片倉氏3代の景長は白石城を望める愛宕山の山麓に城主の墓所を作る事を決めました。これにより初代景綱と第2代重長の墓は、景綱の命日にあたる1680(延宝8)年10月14日に新しく作られた片倉家廟所へ移されました。

1681(天和元)年、片倉景長(片倉氏第3代)が死去しました。
同じ年、梅は白石城にて亡くなりました。(梅享年78才)
梅は当信寺に葬られました。

トップ真田氏DB真田氏一族分家系真田信繁(真田幸村)系真田信繁(真田幸村)一家>梅
ろくもんせんどっとこむ トップページへ 真田氏データベース トップページへ ルーツ 家紋 歴代藩主 一族 系図 年表 親戚 家臣 勢力範囲 合戦遍歴 関連伝説 真田十勇士 有力者データベース 用語データベース サイトインフォメーション トップへ