夫である石川光吉は北条征伐後、豊臣秀吉から尾張国犬山藩12000石を与えられ、豊臣氏直轄領である信濃国木曾郡の代官の兼任も命じられました。
1600(慶長15)年、関ヶ原合戦で西軍として参戦したため、戦後は領地を失いました。 処刑を免れ、京で金融業を営みました。
夫である光吉は、義父である真田信繁、利世(竹林院)の墓を龍安寺大珠院に建て、幸昌(大助)や他の姉妹など信繁一家の墓を建てたようです。