真田頼昌についての資料はほとんど残っていないので、詳しいことは分かりません。
最近になり、幸隆の父親であるとの説が定着してきました。
頼昌の子供は長男である綱吉(つなよし)の他に、次男に幸隆(ゆきたか)、三男に矢沢頼綱(やざわ よりつな)、四男に常田隆永(ときだ ただなが)、五男に鎌原幸定(かんばら ゆきさだ)がいます。
松尾城を本拠地にし、現在の上田市真田町の一部を支配していたと言われています。
1523(大永3)年3月15日、頼昌が亡くなりました(頼昌享年不詳)。
長谷寺(上田市真田町)の付近に墓があったと言われていますが、現在は不明です。
1540(天文9)年4月16日、頼昌の妻(幸隆の母)が亡くなりました。
頼昌の妻のことも、詳しいことは分かりません。
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