読み仮名 |
さなだ ゆきたか(ゆきつな)
※正しくは「真田幸綱(さなだ ゆきつな)」であると言う説が最近有力 |
生没 |
1513(永正10)年~1574(天正2)年5月19日 享年62才 |
出生 |
真田頼昌の次男。母は海野棟綱の娘(棟綱の長男幸義の妹)。 |
別名 |
二郎三郎、源太左衛門、海野小太郎、一徳斎 |
叙任 |
弾正忠 |
法号 |
一徳斎殿月峯良心大庵主
(笑傲院(しょうごういん)殿月峯良心大庵主の説もある) |
妻 |
正室:河原隆正の娘、側室:羽尾幸全の娘、ほか不詳 |
子供 |
長男:信綱、次男:昌輝、三男:昌幸、四男:信尹の4人。
(清鏡と言う名の次男がいる説があり、この場合は昌輝が三男になり以降1つずつ順番がずれて5人になります。) |
墓 |
長谷寺(長野県上田市真田町) |
供養碑 |
長国寺(長野県長野市松代町) |
備考 |
1551(天文20)年2月15日剃髪(隠居)、一徳斎を名乗る。
真田幸隆はこれまでは真田氏の初代とされてきましたが、ここ20年位の間に幸隆は真田頼昌の子であり、真田氏自体も古くから現在の真田町の辺りにいた可能性が大きいという説が主流になりつつあります。
それまで幸隆は海野氏から名字を変えて分家に出たと言われていましたが、そうでは無く、海野氏とは幸隆の母親の実家ということで繋がりがあったと考えられています。
真田氏の開祖 真田幸隆【没後430年を記念して】
上田ケーブルビジョンのウェブサイト内にある真田幸隆公没後430年記念番組のページ。
【動画の内容】武田氏の重臣として活躍した真田幸隆公の人物像と長谷寺(真田町)での記念法要の模様。
現在は、smallのみ動画ファイルが存在し、再生できるようです。
|
|