1543(天文12)、真田幸隆の次男として岩尾城で生まれました。
武田信玄の小姓として仕え、元服後は武田軍の「百足(ムカデ)衆」に抜擢されました。百足衆(百足隊)とも呼ばれは、戦場において武田本陣からの命令伝達や偵察を主な任務にしており、背中の旗指物にムカデが描かれ、戦場では花形であり重要な役割を果たしました。ちなみに古くからムカデは毘沙門天の使いと言うことになっています。
信玄から「兵部は我が両眼なり」と言われる程、信玄の期待に応えていきました。
兄信綱とともに信玄から騎馬を50頭授かったこともあり、信州先衆方の副将として活躍していました。
1569年、武田信玄による小田原城攻めの時には、大きな戦功を上げました。
1575(天正3)年の長篠の戦いでは兄の信綱と共に戦死しました。(昌輝享年33才) |