金井高勝は真田幸隆の五男ですが、人物像や経歴などほとんど不詳です。
真田信春として戦国の世を乗り越えましたが、いつからか農民になり金井高勝を名乗りました。
龍顔寺の西方に二重の堀跡が残っている居館跡があり、そこには真田宮内大神が祀られています。
高勝は1606(慶長11)年7月7日に無くなりました。
法号は高勝寺殿龍顔宗白大居士で龍顔寺(丸子町生田)に墓があります。
龍顔寺は寛永年間(1624年~1644年)に高勝寺から改名しました。
高勝の甥である真田信之は、高勝が亡くなった翌年である1607(慶長)年6月26日付の寄進状で、高勝の冥福を祈って3
貫文を高勝寺に寄進しています。
信之にとって大切な人の一人だったに違いありません。
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