1565(永禄8)年、村松殿は真田昌幸の長女として武田氏の本拠地である躑躅ヶ崎で生まれました。
母は山手殿説と、昌幸側室である遠山の娘説の2つがあります。
村松殿は小山田茂誠と結婚しましたが、その時期については不明です。
夫茂誠は武田二十四将だった小山田昌辰の子供です。
信濃へ侵攻してきた織田徳川連合軍と戦っていた小山田昌辰は、1582(天正10)年、守っていた高遠城が織田方の攻撃により落城し、その時戦死しました。
父親と武田氏という主を失った小山田茂誠は真田氏の重臣になりました。
村松と言う名前は、昌幸から小県郡村松(現在の青木村)の領地を与えられたことから来ています。(越後国村松に住んだこともあるからという説も有ります。)
長姉として信幸(信之)・信繁(幸村)から敬愛されていました。
信繁(幸村)は大坂冬の陣が終わった後の1615(慶長20)年1月24日、大坂城内での近況報告と村松殿を気遣った手紙を、茂誠の子供である小山田之知に託している程です。これに対して、村松殿の意向もあってか夫茂誠は返事と共に鮭を2匹送っています。そして、信繁から2月8日付のお礼の手紙が返信されています。
1630(寛永7)年6月20日、村松殿が亡くなりました。(村松殿66才)
松代の長国寺に葬られました。
松代藩では小山田氏は代々、真田氏の重臣を務めました。 |