※この項目では、右京の局が松代2代藩主真田信政の生母であるという説について紹介します
「松代名士伝」では右京の局が松代2代藩主真田信政の母であるとしています。
右京の局は松代城代玉川秀政の娘であり、松代2代藩主である真田信政を1597(慶長2)に産んだとしています。
1657(明暦3)年に信之が松代城主を隠居で退任し、信政が松代藩を継ぎました。しかし、着任から6ヵ月あまりで亡くなってしまったため、信之の長男信吉の血筋をひく真田信利が松代の後継者になることを主張し始めました。これに対して松代藩内からは信政の六男信房(のちの幸道)の動きが出て、家督争いになりました。右京の局は信之を中心に松代藩内の家臣達を信房(のちの幸道)擁立で結束させた功労者でした。
信之が某女中を妊娠させた時にお家騒動にならないように、その某氏を他藩に預けるといったこともしていたと言う伝承もあり、この時の子供が後に臨済宗の高僧になる道鏡恵端禅師(どうきょうえたんぜんじ、通称:正受老人(しょうじゅろうじん))であるという伝承があります。
(信之と正受老人の事については信之の「関連事項」ページに掲載しています。)
※尚、rokumonsen.comでは「右京の局が真田信政の生母であるという説」は採用していません。 |