1599(慶長4)年、真田信重は沼田城で真田信之の三男として生まれました。母は信之正室である小松です。
1622年、父信之が上田から松代に移封された事にともない、一緒に松代に移りました。
信之は松代藩内に支藩として埴科藩1万石をもうけ、それを次男信政に与えました。
その時、信重には7千石が与えられました。
父信之から沼田藩を任されていた長男信吉が亡くなったため、信吉長男の熊之助が4才で継ぎました。しかし、1638(寛永15)年11月6日、その熊之助も7才の若さで亡くなったため、翌年の1639(寛永16)年に信政が沼田4代藩主になりました。
信重は、埴科藩を兄信政から継ぎ、これまでの領地と合わせて1万7千石の埴科藩2代藩主になりました。
信重は相撲や鷹狩りが好きで、これらに関した逸話が伝わっているようです。
1647(正保4)年2月23日、信重は武蔵国鴻巣で亡くなりました。(信重享年49才)
信重には子供がいなかったため、埴科藩は廃絶され、領地は松代藩に返還されることになりました。埴科藩は25年で幕を閉じました。
埼玉県鴻巣市にある勝願寺には母小松殿の墓と並んで、信重夫妻の墓があります。 |