母である小野通と同じように、琴や書道に秀でていたいたそうです。
真田信之の次男である真田信政の側室になりました。 信政の長男である信就を産みました。
1679(延宝7)年12月18日、小野宗鑑尼が亡くなりました。(小野宗鑑尼・享年不詳) 江戸下谷にあった廣徳寺に葬られましたが、現在は東京都練馬区桜台に移転し、小野宗鑑尼の墓もこちらにあります。 松代の乾徳寺にも墓があります。
小野宗鑑尼が産んだ信就は、信政からの家督相続ができませんでした。 松代藩の家督を相続した信政が亡くなると、信政が後継者として指名した信政の六男幸道が幼いこともあり、沼田藩主である信利と幸道 が、家督相続争いをしました。 この時、信就は信利の陣営に入っていたとされています。
結局、松代藩主の家督は幸道に相続されることになりましたが、幸道には後継者ができなかったため、信就の七男である信弘を養子にしました。 信就七男である信弘は幸道から家督を相続し、松代真田4代藩主になりました。つまり小野宗鑑尼の孫が松代真田藩主になったのです。