小野宗鑑尼
プロフィール
読み仮名
おの そうかんに
生没
生年不詳~1679(延宝7)年12月18日 享年不詳
出生
不詳
別名
犬、伏、国子、円子、(2代目お通と呼ばれることもある)
移籍
小野に出生→松代真田氏に嫁ぐ
真田信政(側室として)
子供
信就(真田信政長男)
廣徳寺(東京練馬区桜台)
乾徳寺(長野県長野市松代町)
備考
 
沿革
小野宗鑑尼の経歴

母である小野通と同じように、琴や書道に秀でていたいたそうです。

真田信之の次男である真田信政の側室になりました。
信政の長男である信就を産みました。

1679(延宝7)年12月18日、小野宗鑑尼が亡くなりました。(小野宗鑑尼・享年不詳)
江戸下谷にあった廣徳寺に葬られましたが、現在は東京都練馬区桜台に移転し、小野宗鑑尼の墓もこちらにあります。
松代の乾徳寺にも墓があります。

孫である信弘が松代4藩主

小野宗鑑尼が産んだ信就は、信政からの家督相続ができませんでした。
松代藩の家督を相続した信政が亡くなると、信政が後継者として指名した信政の六男幸道が幼いこともあり、沼田藩主である信利幸道 が、家督相続争いをしました。
この時、信就は信利の陣営に入っていたとされています。

結局、松代藩主の家督は幸道に相続されることになりましたが、幸道には後継者ができなかったため、信就の七男である信弘を養子にしました。
信就七男である信弘幸道から家督を相続し、松代真田4代藩主になりました。つまり小野宗鑑尼の孫が松代真田藩主になったのです。

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