1585(天正13年)、片倉重長は片倉小十郎景綱の長男として生まれました。
父片倉景綱は伊達政宗の重臣で、二本松城、亘理(わたり)城を経て1602(慶長7)年に白石城主になりました。
1600(慶長5)年、関ヶ原合戦の時には白石の役に重長は父景綱と共に参戦しました。
1602(慶長7)年、父景綱は白井城主になりました。
1615(慶長20)年、大坂夏の陣、道明寺の戦いで後藤又兵衛隊と薄田隼人隊を破り、真田幸村隊とも交戦しました。
この時、自ら最前線で戦い、敵兵の首を取ったことから「鬼小十郎」という異名が付きました。
1615(慶長20)年、大坂夏の陣で豊臣方が徳川方に敗れた際、重長は大坂城にいた真田信繁(幸村)の三女梅を保護しました。
これについては、梅を略奪したとも、信繁(幸村)事前に密約があって身柄を引き受けたとも言われています。
その後、梅の兄弟である大八と菖蒲も重長を頼って来たため、信繁(幸村)の3人の子を白石で養うことになりました。
1615(元和元)年、父景綱が亡くなり、重長は白石藩白石13000石の家督を相続しました。
重長の正室が亡くなり、後妻として梅を正室に迎えました。
梅との間に子供はいませんでした。
1659(万治2)年3月25日、重長が亡くなりました。(片倉重長 享年75才)
明治維新後、片倉氏は北海道開発が評価されて、男爵を授けられています。
<梅・菖蒲・大八のテキストをアレンジ転載すること> |