滝川一積
プロフィール
読み仮名
たきがわ かずあつ
生没
生没年不詳 享年不詳
出生
滝川一益の長男一忠の嫡子。
別名
三九郎
移籍
 
 
子供
 
 
備考
真田昌幸五女の後夫
経歴

滝川一積(かずあつ)は滝川一忠の子として生まれました。
一積は織田信長の重臣である滝川一益の孫にあたりますが、父一忠は生涯を浪人として過ごしたと言われています。

1604(慶長9)年、滝川氏の嫡流の家系である滝川一乗(かずのり、一益の次男一時の嫡子)が幼かったため、一乗の従姉妹である一積が名代として滝川氏をまとめることになりました。

一積と一乗の間で、領地争いがありました。

大坂の役では徳川方として参戦しました。

一積は幕府旗本として1千石を与えられました。

一積の昌幸五女と結婚しました。
昌幸五女には前夫である宇田頼次との間にもうけた娘が1人いましたが、一積はその子も養子として迎え入れ、小山田茂誠の嫡子である之知(これとも)に嫁がせました。

一積は、妻の姪である信繁(幸村)の四女あぐりを養い、蒲生郷喜(がもう よしさと)に嫁がせました。
1632(寛永9)年7月16日、一積は真田信繁(幸村)の一族に手を貸したことを理由に、幕府により改易され領地を失いました。

一積と昌幸五女の間に嫡子である一明がいました。
1663(寛文3)年、一明は廩米300俵の幕府旗本になりました。
一明の妻は真田幸道の叔母であり、一明の嫡子として迎えた養子一重の母は真田信政の娘です。
養子や婚姻によって、松代真田氏との深い縁がありました。

その後、一積の子孫は幕府旗本として存続しました。

滝川氏が真田氏との血縁を重要視していたことは明白ですが、なぜそこまで"こだわった"のかは推察するしかありません。
しかし、これには織田信長により武田氏が滅亡した後、真田氏が滝川氏の支配下にあったことが深く関わっているものと思われます。
本能寺の変で信長が亡くなった後、北条氏が上野・信濃両国に侵攻し、一益は不安定な状況で迎え撃ちましたが、一益は北条氏との戦いに敗れました。
一益は伊勢に撤退しましたが、この時、昌幸は撤退しやすいように援護しました。
その後、滝川氏は北条氏に領地を取られたことを発端にして政権中央での発言権を失いましたが、滝川氏と真田氏の信頼関係が培われていったのです。

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