1548(天文17)年、松平氏(三河国)に譜代として仕える家に生まれました。
徳川家康の重臣として三方ヶ原合戦や長篠合戦に参戦。
1590(天正18)年、小田原の北条征伐後、上総(千葉県中南部)のどこかに10万石の領地を与えられました。
1600(慶長5)年、関ヶ原合戦で軍監を務めました。(軍監とは戦場で味方の働きぶりを監視する役職。管理職の中でも部下の評価に直結する重い役職。)
この関ヶ原合戦の時、娘小松殿の夫真田信幸が、西軍になった父真田昌幸と弟真田信繁(幸村)とは行動を共にせず、東軍になりました。
信幸はこの合戦の約11年前にあたる1589(天正17)年に家康の家臣になり、翌年には本多忠勝の娘であり徳川家康の養女である小松姫と結婚しました。
忠勝にとって義理の息子ではありますが、小松殿を通じて信幸との信頼関係が深かったことが伺えます。
忠勝、信幸、双方にとって、信幸の東軍入りは果たさなければならないことだったのです。
関ヶ原合戦後、忠勝は伊勢国桑名藩10万石を与えられました。
忠勝は目立った武功が多いタイプの武将であり、「家康には過ぎた家臣」と評価され「徳川四天王」の一人に挙げられました。
1610(慶長15)年10月18日、本多忠勝が亡くなりました。(忠勝享年63才)
伊勢国桑名の浄土寺に葬られました。
|