御宿政友の出身については諸説あり、御宿監物(みしゅく けんもつ)の嫡子として生まれ、今川氏、武田氏、北条氏を経て結城秀康の家臣になり1万石を与えられましたが、秀康の嫡男である忠直と対立して牢人(浪人)になりました。
上杉氏、福島氏の家臣だった時もあるようです。
武田信玄の五男である葛山信貞の嫡子は葛山貞友(かつらやま さだとも)であり、貞友は御宿政友に従いを大坂に参陣し、後に黒田忠之に仕えたようです。
政友の父監物は信貞の軍代を務めたことがあることから、政友が貞友を伴って大坂城に入った可能性が高いようです。
政友は、徳川方との軍事衝突に備える豊臣方の大坂城に入城しましたが、その時、戦いに勝った場合は昔の主である松平忠直(結城忠直)の領地越前を所領にする約束をし、それを知った忠直が激怒したという話が伝わっています。
政友は結城時代の家臣を300人程度引き連れていたと言われていますが、その活動については不詳で、常に大きな部隊に属していたようです。
冬の陣では、旧武田家臣同士ということも有ってのことか、幸村隊に合流して真田丸に籠もったと言われています。
1615(慶長20)年5月7日、大野治房の指揮下で岡山口に陣を置いた政友は、徳川方の大軍を相手に奮戦しましたが、未の刻頃(午後2時頃)に討ち死にしました。
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