武田信玄が北信濃攻略の足掛かりにした平城です。
遠く離れた甲斐国に本拠地を持つ武田氏にとって、この海津城は上杉氏との攻防戦において大変重要な役割を担っていました。
川中島合戦や北信濃への進出に際して前線基地として機能しました。
武田氏滅亡後は、上杉氏支配下の城になりました。
1585(天正13)年、徳川氏により真田昌幸の上田城が攻められた第1次上田合戦時では、昌幸は事前に上杉氏に次男信繁(幸村)を人質として出し、それと引き替えに上杉氏は海津城主である須田満親に真田氏を支援するように命令しました。
上杉氏による支援もあり、真田氏は徳川氏からの攻撃に耐えることができました。
その後、海津城主は田丸直昌・森忠政・松平忠輝・松平忠昌・酒井忠勝と代わりました。
1622(元和8)10月、真田信之が上田から松代に移封されてきました。
以後、幕末まで10代にわたって真田氏が松代藩を治めることになりました。
長野市が1995(平成7)年〜2004(平成16)年まで平成の大普請という復元整備事業を行いました。
その結果、松代城の中核部分の土塁・石垣・櫓門が復元されました。 |