真田庵は通称であり、正式には善名称院といい、 真田氏が幽閉されていた屋敷跡に建てられた寺です。
九度山町は高野山の表参道に位置します。
1600(慶長5)年12月13日に上田を出発した真田昌幸・信繁(幸村)一行は、高野山蓮華定院に着き、九度山に住居を構えることになり仮屋敷に住んだ後、ここに建てられた屋敷に住んだと言われています。
1611(慶長16)年6月4日、昌幸は幽閉生活の終わりを夢見ながら享年65才で亡くなりました。
そのおよそ3年後である、1614(慶長19)年10月9日、真田昌幸の次男である真田信繁(幸村)は長男幸昌(大助)と家臣を連れて九度山を出発して大坂に向かいました。
1615(慶長20)年5月7日、真田信繁(幸村)は討ち死にしました。
境内には真田昌幸の墓、真田信繁(幸村)と大助の供養塔があります。
善名称院に伝わる真田氏床地の品々が、隣接する真田宝物資料館に展示されています。 |